こころの記録

忘れないように、日々感じたことを記していきます。

昔の話①

人見知りな子でした。
全くしゃべりませんでした。
愛想笑いが得意でした。
笑っていれば、ことが過ぎるから。
はりついた笑顔が得意でした。


幼稚園のとき、ダンスの時間かお歌の時間か忘れましたが、
ふとした瞬間に隣の男の子の脚を踏んでしまいました。
私は「ごめんなさい」と笑いました。
言葉にしたかも覚えていません。
もしかしたら、目を合わせずに場をやりすごそうとしていたかも。
あやふやですが、この瞬間は記憶にあるのです。
攻撃されると、責められると思いました。
人間が恐怖でした。


時を同じく幼稚園の頃、下駄箱付近で先生に問いかけられました。
「指、けがしたの?」
私は指にバンドエイドを巻いていました。
私ははりついた笑顔を浮かべました。
「言わなきゃわからないよ。指、どうしたの?」
その先生は引き下がりませんでした。
いつもだったら、場をやり過ごせるのに。
その先生は、私に問い詰めてきました。
といっても、先生にとってはなぜ笑うのか分からないでしょうし、単純に会話をしたかっただけなのでしょうが。
私は恐怖しました。
はりついた笑顔がはがれませんでした。
場はやり過ごせませんでした。
気付けば目に涙が浮かんでいました。
どうでもいいような会話で、私は泣きました。
答えられずに泣きました。
苦痛でした。
誰とも話せませんでした。
先生は、特に。
大人は恐怖でした。
逆らってはいけないと思いました。


小学2年生あたりまで、人見知りは続きました。
学校では静かですが家では元気でした。
親には気を許していました。
父親に「肩たたき券」を作ったりするくらい、甘えられていました。
時々兄にいじめられては、親に守ってもらっていました。
私は「まくら」という布切れをとてもとても大事にしていました。
ボロボロの布切れです。
もともとは枕だったのでしょうか、記憶にありません。
はたから見たら年季の入っていて汚いものです。
兄はその「まくら」をどこかにやってしまいました。
私は大泣きしました。
親は兄を激怒しました。
特に父親は、兄に対してキツくあたりました。
私は一人娘ということもあり、父親からとても甘やかされて育てられました。

死ねない

先日誕生日を迎え、25歳を迎えました。
とても悲しい気持ちで。


20歳で死ぬ予定でした。
5年も無駄に生きています。
死ぬ機会はあったのに、私は今も息をしています。


小学低学年のころ、死にたくなってベランダから落ちたい気持ちに駆られました。
2Fだったので死ぬことはまずないのですが。
小さかった私にはそんなことも分からず、ただ落ちて死にたいと思いました。
死にたいことを兄に伝えました。
「死にたいなら死ねば?」
そういわれたのを今でも覚えています。
そのときとても傷ついたことを今でも覚えています。
そして、ベランダから落ちなかったことをいまでも悔やんでいます。


同じく小学校低学年のころ、車に轢かれかけました。
横断歩道を渡ろうとしていました。
私はただぼーっとしながら白い線を渡ろうとしたところ、車が通りすぎました。
誰かが私を引っ張って止めてくれた気がします。
私がハッとなり気づいただけかもしれません。
分かりません。
完全に無意識で歩を進めようとしていました。
死ぬ気もありませんでした。
でも、もうちょっとで死ねたかもしれない。
死ねるポイントのひとつでしたが、私はこの機会を逃しました。

はじめまして

自分が思ったこと・経験してきたことをただひたすらに書いていきたいと思います。


悪い記憶は相当大きなものでなければ忘れます。
それか、一時的に記憶からなくなります。


私がなぜこんな気持ちにさいなまれなければならないのか
言語化できないのです。
何が苦しかったのか、言語化できません。


だから、書き留めておきます。
ひたすらに、頭のぐちゃぐちゃがましになるまで、書きます。