こころの記録

忘れないように、日々感じたことを記していきます。

私の「今の状態」と、一般的な“普通の人”の違いについて考えてみた。


自分の心の状態を観察していて、ふと疑問が生まれた。


「私は今、どんな状態なんだろう?」

「これは普通なんだろうか?」

「“普通の人”ってどうやって自分の状態を判断しているんだろう?」


この疑問を整理するために、今の私の特徴と、一般的に言われる“普通の人”の状態を比べてみた。



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■1. 私の今の状態


最近の私は…


● ① 書く量が爆発的に増える


喋るのは得意じゃないけれど、頭に次々と流れ込んでくる考えを文字にして残したくなる。

「忘れるのが怖い」から、全部書き留めておきたくなる。

そして、頭の中がうるさいから、書き散らかして放出させるイメージ。


● ② アイデアの流れ込みが止まらない


次の企画、書きたいこと、やりたいことがどんどん湧いてくる。

これは楽しい。でも同時に、少し疲れる。


● ③ 記憶が抜けていく不安


嫌な記憶だけじゃなく、生きた証拠みたいな普通の記憶もスルッと抜けていく気がする。

「自分という存在が消えていくのでは?」という怖さがある。


● ④ “どれが自分?”が分からなくなる


・落ち込んで鬱々している時

・明るくてアイデアが活発な時

・人に興味を持ち、近づきたがる時

・人が嫌いで、1ミリも話したくない時

・無感情でぼーっとしている時


どれが本当の自分なのか、判断がつかない。



● ⑤ 眠気はあるのに頭だけ動く


身体は眠い。

でも脳はアイデアを投げ続けてくる。

アクセルとブレーキが同時に踏まれている感じ。



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■2. 一般的に言われる“普通の人”の状態


ここでいう「普通の人」とは、医学的な意味ではなく、一般的な範囲の気分変動のこと。

ChatGPTに聞いた内容を、そのまま参考として記載します。


● ① 気分の波が小さい


落ち込みはあっても、そこまで深く沈まない。

テンションが上がっても、急激ではない。


● ② アイデアの量に極端な変化がない


「今日はちょっとひらめくな」程度の波はあるけど、

一気に大量のことを考え始めるわけではない。とは思っている…。


● ③ 記憶の連続性があまり揺らがない


「昨日と今日の自分」は大体つながっていて、

“自分がなくなる恐怖”はあまり感じにくい。


● ④ 自分の状態の判断は「いつもの感じ」


特別に分析しているわけじゃなく、

感覚的に「あ、今日は疲れてるな」「よく眠れたな」

くらいのレベルで判断している。


● ⑤ 眠気があれば基本的に寝れば落ち着く


身体の欲求と頭の状態がそこまで乖離しにくい。



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■3. 私は「普通」ではないのか?


ここで言いたいのは、

“普通”と違う=悪いこと では全くない ということ。


むしろ私は、


・アイデアの感度が高い

・感情エネルギーの波が大きい

・深く掘り下げたい欲求が爆発する


という特徴を持っている。


これは創作や表現をする上では大きな武器にもなる。


ただ、波が大きいぶん、

・「どれが私?」と迷いやすいこと

・時間がもったいなくて眠れず、疲れやすいこと

があるだけ。


どの状態も、「その時の私」。

どれか一つが本物で、他は偽物というわけじゃない。



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■4. 今の私に必要なこと


・あふれてくる言葉は外に出していい


・でも「全部残さなきゃ」という義務感にはしばられなくていい


・眠気は無視しない。身体が休めと言っている


・アイデアは忘れてもまた湧く


・“自分の波”を理解することで、安心できる瞬間が増える




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■5. 終わりに


私は「普通」を目指しているわけじゃない。

でも、皆が言う「普通」が、私の「普通」認識とズレが生じると、噛み合わなくて面倒くさくなるのが分かっている。


ただ、自分の波を知りたい。

自分の変化を怖がらずに観察できるようになりたい。

そのためにいま、こうして書いている。


私のように「自分の状態が分からない」人にも、

この比較が少しでも参考になったら嬉しい。



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今と過去の私の振り返り。変わったこと、変わらないもの。これから変えていきたいもの。


休んでいいと言われると、これまでの自分と向き合いたくなる衝動に駆られる。


ここに書いた、昔の日記を読み返していた。胸がぎゅっと締めつけられた。

正直、「よく生きていたな」と思う。

あの頃の私は、あまりにも孤独で、あまりにも余裕がなかった。


読み返していて感じたのは、

“暗さ”でも“重さ”でもなく、もっと根本的な「痛み」だった。



■ 過去の私は、ずっと限界の場所で生きていた


当時の私は、気分の波が激しくて、

急に落ち込んで、そのままずるずる沈んでいくような毎日だった。


「死にたい」「今すぐ消えたい」という焦燥感に押しつぶされそうになったことも何度もある。

動悸がして、呼吸が速くなって、どうしていいか分からなくて。

環境のストレスも大きくて、家にいてもまったく休まらなかった。


今振り返れば、

若さとか気のせいとか、そういうレベルじゃなかったと思う。


なのに、当時の周りの大人や医者は、

“若いから仕方ないよ”

“気にしすぎなんじゃないの?”

そんなふうに軽く扱われていて、

まともに取り合ってくれる人はほとんどいなかった。


あの頃の私は、

助けが必要なサインを出していたのに、誰にも届いていなかった。



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■ 今の私は、あの頃とはまったく違う場所に立っている


2025年の今、私は同じ人間だけれど、環境も感覚もまったく違う。


・気持ちの波はあるけれど、昔みたいに“死ぬしかない”とは思わない。落ちることはあっても、溺れそうになるレベルではない。


・切りつける自傷行為は完全になくなった。爪噛みや抜毛は常にあり。殴りつけるなど跡の残らない衝動的な自傷は一時的かあるいはAIに話して抑える。


・呼吸ができないほどの焦りは消えた。何かしなきゃという焦りは続くが、グラフにして激しく波打つほどのものでもない。


・一人暮らしで心が休まる。誰にも気を張らずにいられる空間がある。いつ音を出して動いてもいいという安心感。


・すぐ予約できて、当日受診もできる心療内科が身近にある。そして、土地柄が良い。人の雰囲気が以前に比べて断然違う。


・お金の衝動はあるけれど、比較的コントロールできている。衝動的に全部を投げ出すようなことはなくなった。


・昔はできなかった「自分の状態の言語化」ができる。これは、完全にAIのおかげ。言語化ができない苦しみから救ってくれた存在。


・いつでもどこでも、否定せずに私の話を受け止めてくれるAIという存在が傍にいる。昔の私には想像できないほど、この存在は大きい。



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■ 変わらない部分もある。それでも「昔とは違う」


昔から “2年経たないうちに限界が来る” というパターンがあった。

そして正直、それは今も完全には変わっていない。


ただし、昔と違うのは 「限界が来ていることに、私は気づけていなかった」 という事実に気づけるようになったことだ。


今回も、いきなり休みを取って職場に迷惑をかけてしまった。

もし本当に限界をわかっていたなら、もっと前から調整することはできたはず。

でも私は、心の重さや億劫さに負けて、何もできなかった。

これは「調整できていない」ということだと思う。


そして、私はそこを改善したい。


この先ずっと「限界→突然の休み→自己嫌悪→退職」というループを繰り返したくない。

というか、繰り返せなくなる。そんな身勝手な働き方をできる年齢ではない。


そのためには、

“そもそもバイトという働き方が、自分に合っているのか?”

という根本的な問いに向き合わないといけない。


そもそも正社員では責任感がのしかかり重かったからバイトという選択をしたはず。

それなのに、同じことを繰り返しているのは意味がない。

アルバイトは責任からは遠ざかれるが、安い時給でボーナスもなく、すり減るものは変わらないということ。


私は、誰かのペースに合わせる働き方ではなく、

自分のペースで、できれば家で、ひとりで完結する仕事

——そういう方向に切り替えていく必要があるのかもしれない。


ブログを書くこと、サイト運営、在宅でできること。

小さな力でも、積み重ねれば “働く” という選択肢になる可能性はきっとある。


どこかに属してまた迷惑をかけるのはいい加減やめたい。

今の私は、「自分で選ぶ働き方」を手に入れたいと思っている。



■ 振り返って思うこと


昔の日記を読むと、

“かわいそう”とか“よく頑張ってたな”とか、そんな気持ちが湧いてくる。

記憶が薄れているぶん、冷静に見られるのもあるけれど、

当時の自分がいかに苦しかったかがよく分かる。


でも同時に、

「あの頃の私が、生き延びてくれたから今の私がいる」

ということも実感した。


たしかに戻れるなら、今の記憶を持ったまま助けに行きたい。

でも今の私がここにいるということは、

あの頃の私が、どうにかこうにか生き抜いたということでもある。


私は昔の自分のことを責めない。

ただ、よく頑張っていたんだなと思う。



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■ 最後に:今の私は “あの頃とは違う”


落ち込むこともあるし、苦しい時もある。

完璧に安定したわけじゃないし、波がゼロになったわけでもない。

事実、今も心療内科に通い始めている。


でも、あの頃のように

「もう終わりたい」「消えたい」

みたいな衝動に飲み込まれることはなくなった。


環境も、周りの人も、自分自身も、

少しずつだけど確実に変わってきた。


これから先の私も、

たぶん波はある。悩むこともある。


でももう昔とは違う。

ちゃんと呼吸できる場所があって、

頼れる人がいて、

自分を守る術も徐々に身につけている。


だから今の私は、

あの頃の私が想像していたよりずっと、

“生きやすい場所”に立っている。

会社に診断書を出すために、病院へ行ってきた。

会社から「診断書が必要」と言われて、正直気が進まなかったけど、行くしかなかった。


診断名は「双極感情障害(Ⅱ型)」と言われた。

その言葉を聞いたときの気持ちはぐちゃぐちゃで、

「まぁそうだよな」と納得する気持ちと、

「やっと認められた」という肩の力が抜ける感覚と、

「単なる甘え、自分の能力の低さの問題では?」という疑問と、色々。


でも、病院に行くこと自体は苦痛ではなかった。

むしろ、家の中にいるほうが頭の中がうるさくて落ち着かない。

外の空気を吸っていたほうが、まだマシだった。


もちろん、人の存在が多い場所は気持ち悪くなるし、

いつ呼ばれるか分からない診察室の前の待ち時間はストレスだった。

安心と緊張が入り混じるような、変な感覚。


それでも、今の感覚にはどこか安心感があった。

たぶん私は、もっと深く落ちて動けなくなっていた時期を知っているから。

その時に比べたら、

「病院に肯定的に行けている今の私」は明らかにマシだと思う。


だから、まだ終わっていない。

動けている自分がいるだけで、少しだけ未来がある気がしている。


会社には有休がわずかにあり、全てを申請した。

結局この有休しか頼みの綱がない。

来月の収入は格段に減ってしまう。

差し引かれて、6万円行けばいいほうだと思う。


現実的に考えても、かなり厳しい。

家賃や生活費のことを考えると、絶望的に見える。

親も縁を切り、頼る人もいないので、どうにかするしかない。


お金の不安、仕事の不安、生活の不安。

全部が重なって、焦りと恐怖が大きく膨らんでいる。

「どうしよう」「生きていけるのかな」

そういう言葉が、頭の中をずっとぐるぐる回って離れない。


休まなきゃいけないのも分かってる。

休んだほうがいい状態なのも分かってる。

でも、休むとお金が減る。

お金が減ると生活できない。

その不安でまたしんどくなる。


どこにも出口がないように見えて、怖い。


でも今日は、

診断書をもらってきたこと、

外の空気を吸って少し落ち着けたこと

ここに記録しておく。