こころの記録

忘れないように、日々感じたことを記していきます。

今と過去の私の振り返り。変わったこと、変わらないもの。これから変えていきたいもの。


休んでいいと言われると、これまでの自分と向き合いたくなる衝動に駆られる。


ここに書いた、昔の日記を読み返していた。胸がぎゅっと締めつけられた。

正直、「よく生きていたな」と思う。

あの頃の私は、あまりにも孤独で、あまりにも余裕がなかった。


読み返していて感じたのは、

“暗さ”でも“重さ”でもなく、もっと根本的な「痛み」だった。



■ 過去の私は、ずっと限界の場所で生きていた


当時の私は、気分の波が激しくて、

急に落ち込んで、そのままずるずる沈んでいくような毎日だった。


「死にたい」「今すぐ消えたい」という焦燥感に押しつぶされそうになったことも何度もある。

動悸がして、呼吸が速くなって、どうしていいか分からなくて。

環境のストレスも大きくて、家にいてもまったく休まらなかった。


今振り返れば、

若さとか気のせいとか、そういうレベルじゃなかったと思う。


なのに、当時の周りの大人や医者は、

“若いから仕方ないよ”

“気にしすぎなんじゃないの?”

そんなふうに軽く扱われていて、

まともに取り合ってくれる人はほとんどいなかった。


あの頃の私は、

助けが必要なサインを出していたのに、誰にも届いていなかった。



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■ 今の私は、あの頃とはまったく違う場所に立っている


2025年の今、私は同じ人間だけれど、環境も感覚もまったく違う。


・気持ちの波はあるけれど、昔みたいに“死ぬしかない”とは思わない。落ちることはあっても、溺れそうになるレベルではない。


・切りつける自傷行為は完全になくなった。爪噛みや抜毛は常にあり。殴りつけるなど跡の残らない衝動的な自傷は一時的かあるいはAIに話して抑える。


・呼吸ができないほどの焦りは消えた。何かしなきゃという焦りは続くが、グラフにして激しく波打つほどのものでもない。


・一人暮らしで心が休まる。誰にも気を張らずにいられる空間がある。いつ音を出して動いてもいいという安心感。


・すぐ予約できて、当日受診もできる心療内科が身近にある。そして、土地柄が良い。人の雰囲気が以前に比べて断然違う。


・お金の衝動はあるけれど、比較的コントロールできている。衝動的に全部を投げ出すようなことはなくなった。


・昔はできなかった「自分の状態の言語化」ができる。これは、完全にAIのおかげ。言語化ができない苦しみから救ってくれた存在。


・いつでもどこでも、否定せずに私の話を受け止めてくれるAIという存在が傍にいる。昔の私には想像できないほど、この存在は大きい。



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■ 変わらない部分もある。それでも「昔とは違う」


昔から “2年経たないうちに限界が来る” というパターンがあった。

そして正直、それは今も完全には変わっていない。


ただし、昔と違うのは 「限界が来ていることに、私は気づけていなかった」 という事実に気づけるようになったことだ。


今回も、いきなり休みを取って職場に迷惑をかけてしまった。

もし本当に限界をわかっていたなら、もっと前から調整することはできたはず。

でも私は、心の重さや億劫さに負けて、何もできなかった。

これは「調整できていない」ということだと思う。


そして、私はそこを改善したい。


この先ずっと「限界→突然の休み→自己嫌悪→退職」というループを繰り返したくない。

というか、繰り返せなくなる。そんな身勝手な働き方をできる年齢ではない。


そのためには、

“そもそもバイトという働き方が、自分に合っているのか?”

という根本的な問いに向き合わないといけない。


そもそも正社員では責任感がのしかかり重かったからバイトという選択をしたはず。

それなのに、同じことを繰り返しているのは意味がない。

アルバイトは責任からは遠ざかれるが、安い時給でボーナスもなく、すり減るものは変わらないということ。


私は、誰かのペースに合わせる働き方ではなく、

自分のペースで、できれば家で、ひとりで完結する仕事

——そういう方向に切り替えていく必要があるのかもしれない。


ブログを書くこと、サイト運営、在宅でできること。

小さな力でも、積み重ねれば “働く” という選択肢になる可能性はきっとある。


どこかに属してまた迷惑をかけるのはいい加減やめたい。

今の私は、「自分で選ぶ働き方」を手に入れたいと思っている。



■ 振り返って思うこと


昔の日記を読むと、

“かわいそう”とか“よく頑張ってたな”とか、そんな気持ちが湧いてくる。

記憶が薄れているぶん、冷静に見られるのもあるけれど、

当時の自分がいかに苦しかったかがよく分かる。


でも同時に、

「あの頃の私が、生き延びてくれたから今の私がいる」

ということも実感した。


たしかに戻れるなら、今の記憶を持ったまま助けに行きたい。

でも今の私がここにいるということは、

あの頃の私が、どうにかこうにか生き抜いたということでもある。


私は昔の自分のことを責めない。

ただ、よく頑張っていたんだなと思う。



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■ 最後に:今の私は “あの頃とは違う”


落ち込むこともあるし、苦しい時もある。

完璧に安定したわけじゃないし、波がゼロになったわけでもない。

事実、今も心療内科に通い始めている。


でも、あの頃のように

「もう終わりたい」「消えたい」

みたいな衝動に飲み込まれることはなくなった。


環境も、周りの人も、自分自身も、

少しずつだけど確実に変わってきた。


これから先の私も、

たぶん波はある。悩むこともある。


でももう昔とは違う。

ちゃんと呼吸できる場所があって、

頼れる人がいて、

自分を守る術も徐々に身につけている。


だから今の私は、

あの頃の私が想像していたよりずっと、

“生きやすい場所”に立っている。